The SKYLINE Complete Blog      by George

● プリンスの源流 ①立川飛行機~東京電気自動車設立

本日Fuji Seimitsu富士精密工業は、社名をPrince Motorプリンス自動車工業へ変更しました!

プリンス自動車工業

と言うより、「元の社名に戻しました。」と言った方が正しいかも?

元々「プリンス自動車工業」という社名は、スカイラインの前身である「プリンス」を製造していた「たま自動車」が社名変更したもので、その「プリンス」のエンジン(FG4A)を作った会社が富士精密工業でした。
そして1954(昭和29)年4月、両社は合併。社名を「富士精密工業」としたのでした。

スカイラインが発表される3年前の話です。


ここで、今日までの「プリンス自動車」の歴史を振り返ってみましょう。

“プリンスの源流”を遡ると「立川飛行機」と「中島飛行機」という2つの航空機メーカーに辿り着きます。

「立川飛行機」は石川島造船所が関東大震災後の不況期における企業再建策として1924(大正13)年に石川島飛行機製作所としてとして発足させ、1936(昭和11)年に同社名に変更したもので、主に大型爆撃機を生産していました。

立川飛行機

終戦後、軍需法令により航空機生産の一切を禁止された立川飛行機は、工場接収に伴い従業員の大半を解雇
一部残った社員が新たな転換事業として選んだのが「自動車生産」だったのです。
このとき「自動車生産」を強く主張したのが、現在プリンス自販で専務を務める外山保氏(当時は試作工場長)でした。

『飛行機の技術を生かして自動車を造ろう!』

と言っても立川飛行機は機体専用メーカーであったので、独自にエンジンを作る事は出来きません。
同時にガソリンは統制品であった為、民間での入手は非常に困難な時代。。。
そんな中考えついたのが「電気自動車」だったのです

当時立川飛行機の傘下には小型自動車「オオタ」を作った高速機関工業がありました。
そこで外山たちは「オオタ」の生産技術を取り入れながら試作車の開発をスタート!

EOT-46B

1946(昭和21)年11月、試作1号車[EOT-46B型]が完成しました

ところがこの直後、いよいよ本格的に商品車の開発が始まろうとしていた正にその時、大問題が発生!
立川飛行機の全工場が米軍に接収されてしまったのです。
もちろん独自の自動車生産など許される筈がありません。

しかし外山は諦めませんでした。
あくまで『自動車を造る』決意を貫き通し、有志200人を引き連れ独立。
府中町にあった「日本小型飛行機」の遊休工場を借り、生産型電気自動車を完成させたのです!

東京電気自動車府中工場

そして1947(昭和22)年6月30日、「東京電気自動車」を設立東京電気自動車


これが“プリンス自動車の起源”となる訳です!


このつづきは又明日

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